山車(だし)祭り

知多市で唯一、山車が出る祭りは岡田神明社の祭礼です。神明社は360年以上もの歴史を持ち、 近くに慈雲寺という大永二年(1522年)に建立された寺があり、 その境内には鎮守堂があって白山妙権現というご神体が村の氏神だったのを、 明治維新の神仏分離の際、神明社へ移してここを村社としました。従って岡田祭では、 神明社と慈雲寺の管理下にある白山社の双方へ敬意を表す祭りとなっています。 これは、「どんでん」または「捻廻し(ねじまわし)」と呼ばれる所作で、双方への敬意を表しており、 テンポの早いお囃子とともに、重い山車を回転させる、梶方らの力の見せ所となっています。


明治から昭和初期にかけて隆盛を極めた知多市の地場産業であった知多木綿が、昭和30年代以降衰退すると、 時を同じくして岡田の祭りも一時衰退しましたが、地元の人々の熱意で、知多半島地域の祭りの復活とともに、 動かなかったからくり人形にも手を入れ、平成二年から徐々に復活し、 今では3輌の全山車において、前棚・上山の両舞台でからくり人形が演じられる豪華な祭りとなりました。 山車の高さは6m近く、山飾り(上山を上げること)すると7mを超え、山車の上山左右前方に花のついた桜の木の枝、 後方に男松・女松を飾り、前方左右から「ダシ」と呼ばれる造花のしだれを垂らしています。 山車の名前の由来がユニークで、それぞれ山車が一番乗りした時に多い天候から、 「日車(里組)」、「雨車(中組)」、「風車(奥組)」と名付けられたそうです。

試楽の土曜日は、提灯を掲げて、氏子総代・村方・各組の人々・子ども会・囃子方らが、 神明社を目指して坂を登ります。本楽の日曜日は、里組・中組・奥組計3輌の山車が白山社前に集結し、 からくり人形・お囃子・伝承芸能を演じて奉納し、 神明社の方を向いていた山車を白山社の方に方向転換する「捻廻し」を行ない、各組の山車倉に引き返します。

※ 本内容は以下の文献資料を参考に編集させていただきました。
  @ 「知多の山車まつり」創愛社発行
  A 「からくり人形の宝庫」中日出版社発行
  B 「図説 からくり人形の世界」法政大学出版局発行

※ 写真撮影は2010年4月11日、知多市岡田「慈雲寺」前広場 於


山車の起源

山車が現在の形となったのは十六世紀ごろといわれていますが、これは、疫病や天災を招く祟り神を慰撫して 他界へ送る「御霊鎮送」のために山車を曳き廻して、無病・安全を祈願した京都祇園の祭りが起源とされ、 後に各所に拡がったものだそうです。形態も呼び名も地域によって異なり、 東日本では「山車(だし)」、「屋台」などと呼ぶのに対して、西日本では「鉾」、「山」、「楽車(だんじり)」、 「地車」、「曳山」などと呼ばれ、知多地方では「おくるま」、「やま」などが一般的な呼称です。

尾張の山車の発祥は室町時代、津島天王祭りに出された楽車(だんじり)と、 熱田の天王祭りに出された大山(おおやま)が最も古い形態を残していると言われています。 津島では500年の伝統を持つ「川まつり」として夏の天王祭りに舟に乗せて祭りが行なわれています。 一方熱田の大山は高さが20m近くあり、明治時代以降、電線が張り巡らされるようになると、 曳きまわしが不可能となり絶えてしまいました。宝暦五年(1755年)に行なわれた尾張藩の調査によると、 尾張地方には50数輌の山車があったと記録されているそうです。

知多地方では、江戸中期以降、約115輌ほどの山車が曳きまわされていたが、 十八世紀後半から尾張藩の倹約令によってしだいに数が減少していきましたが、 今なお、各地で大切に受け継がれています。山車に関する最も古い記録は、知多市岡田・里組の山車の柱に、 嘉永五年(1852年)に記銘されたものが残っており、これによると『元禄二年(1689年)に創建、 以降、正徳四年(1714年)、延享二年(1745年)、嘉永五年(1852年)に作り替え』られたものであることがうかがわれます。


山車の構造と種類

山車の構造


山車の種類
日本全国に分布する山車の数はおよそ5000輌といわれ、種類も構造も異にしています。 山車の最も多い愛知県下においても、地域によりその特徴は各々異なっており、以下の例があげられますが、 実際は複数の要素が渾然と入り混じっています。

外観 型名・概要
津島型

高さ5.3m、奥行き2.9m、横幅2m、尾張系山車の特徴をすべて備えた構造で、外輪には輪がけで覆われている。津島七切、今市場、向島の山車がこれに属する。
名古屋型

高さ5〜6m、奥行き約3m、横幅約2m、二層構造をなし、天井は金伯が施され、外輪には輪がけで覆われている。高段に大将人形とからくり人形が配置され、中段前方に采振り人形を置く。名古屋、有松、西枇杷島、岡田、田原などの山車がこれに属する。
知多型

高さ5.5〜6.5m、奥行き3.5m、横幅2m、重さ3〜6ton、二層構造をなし、上層に人形の舞台、前山に屋根・前壇がつく内輪式。後部に追幕や吹流しをつけ彫刻などの装飾が豪華である。半田、常滑、内海、上野間など知多半島一帯の山車がこれに属する。
犬山型

高さ約8m、奥行き約3m、横幅約2m、重さ約3ton、三層構造をなし、外輪、柔構造が工夫してあり、背が高くても荒々しく動かすことができる。犬山、一宮今伊勢、岩倉の山車がこれに属する。
知立型

高さ6.7m、奥行き3.5m、横幅3m、重さ5ton、上段・中段・下段とわかれ、上段にはからくり人形の舞台、中段で謡いが行なわれ、下段から引出し舞台をせり出して文楽人形を操る。

からくり人形

からくりという言葉は、中国伝来の組み紐技法の一つに「唐組み」があり、 一本の紐に二本の紐をからませて強固な紐を組み上げた方法に由来し、 昔は「絡繰」、「機関」、「機械」、「機巧」などの文字を用い、全て「からくり」と読みました。 日本人の創意工夫により発案されたゼンマイ仕掛けや、人間が陰で糸や差し金を操作することによって 自動的に動いているように見せる人形は、単なる遊び玩具ではなく、 神や人間の形代(かたしろ)として始まった神聖なものであり、人々が集まる宴席での座興や、 神社で行なう祭りの奉納芸にも活躍しました。最も古いとされる平安時代の童子人形(850年)や、 室町時代に宮中や貴族に献上されたあやつり人形、さらには江戸時代に茶運人形・春駒人形・段返り人形・三番叟人形などと 次第に一般民衆の間にも拡がり、永い年月を経て今なお生き続けています。

祭りに山車を曳く所は全国に沢山ありますが、からくり人形をのせた山車の数(百数十輌近くある)は、 尾張を中心とした愛知県が最も多く、愛知県と岐阜県でその三分の二以上を占めています。 愛知県における山車からくりの発祥の由来は、元和四年(1618年)徳川家康の菩提を葬うため、 名古屋城内に東照宮を建立し、その祭礼に際し大八車二輌を組み合わせた上に能人形を飾って曳き廻したのがきっかけとなり、 その後、種々のからくり人形をのせ、立ち廻りを演じる動く人形が人気を博し、 周辺尾張一帯に拡まり、技を競い合って伝搬していきました。

役割による種類
 @ 前山人形(山車前山部分)     山車の行進を鼓舞する役割
 A 上山人形(山車上部)       得意の技を見せる主役の人形
 B 大将人形(山車上部の後方)    各人形の見張り役
   ※ 名古屋型では@ABが、知多型では@Aのみが常である

操法による種類
 @ 直接操法    人間が直接手にもって操る
 A 間接操法    人形の体内に沢山の糸を仕掛け、その糸を引いて操る、通称「糸からくり」
 B 遠隔操法    人形だけが全く独自に動いている様にみえる最高技法、
           雲道や大廻しなど空中技を行なう「糸からくり」、
           バネ・ゼンマイ・歯車を使った「離れからくり」

演技による種類
 @ 手足や首の上下左右
 A 笛を吹く、太鼓を叩く、巫女舞
 B 逆立ち、肩車、面かぶり
 C 文字書き、矢射ち
 D 綾渡り、乱杭渡り、大車輪



精緻な彫刻

知多地方の山車は、山車全体を埋め尽くす山車彫刻が特色となっており、 彫刻の総数は山車によって異なりますが、一輌で二百点から三百点にも及びます。 知多地方では十八世紀ごろまでは彫刻に彩色を施していましたが、十九世紀ごろからは白木彫りにかわり、 全国的には材質に檜(ヒノキ)を利用していましたが、知多の彫刻の大部分は樹齢数百年を数える欅(ケヤキ)を利用し、 より立体感のあふれた彫刻に仕上がっています。彫刻を施す彫師は立川流とか瀬川一門などが足跡を残していますが、 知多地方では彫常一門が多く手掛け、一木で彫ったところが特徴です。


幕に託した敬神の心

知多地方の山車の幕は、彫刻とともに美術工芸的価値が高く、豪華な彩りを添えて絵巻として、 山車の格式表現の象徴として、信仰との関わりを示し、魔除けの意味も併せ持ったものです。

 @ 大幕      山車の左右と背面
 A 水引幕     大幕の上部を飾る
 B 追幕      上山の後部、見返り幕ともいわれる
 C 吹き流し    追幕の上部に立てる、知多型の特色


祭りを盛りたてる山車囃子

沢山の人々が係わる山車の曳き行きや、からくり人形の奉納芸全体をリードするのが山車囃子の大きな役割です。 力強い調子の囃子に鼓舞されて、重い山車をいっきに持ち上げる梶方たち、ある時はゆるやかに、 ある時は速く激しく奏される囃子に誘導されて、動きが滑らかに表情がいきいきと輝いてくるからくり人形たち。 尾張地方の山車囃子は、熱田神楽の影響に加えて、江戸時代に武士のたしなんだ能楽の影響も濃く、 神楽と能を合わせたような曲態が定着しました。山車囃子は各山車によってすべて異なり、 それぞれのからくり演技に合ったいくつかの曲をアレンジして演奏されます。 山車に乗りこむ囃子方は六名〜十名ほどで、編成は、大太鼓一・付太鼓二・笛三・鼓二が標準的な編成で、 他に人形囃子の時に山車の外で多数の笛・付太鼓・鼓が加わることがあります。

囃子の種類
 @ 道行き       目的地に行く時、緩やかな行進曲     早神楽、歌神楽
 A 曲場・どんでん   方向を変える時、勇壮豪快な調子の曲   車切(しゃぎり)、キョウゲン
 B 人形の演技     能楽からとった静かな曲         出羽(でわ)、上がり羽、下がり羽
 C 山車の帰路     祭りの名残を惜しむ余韻のある曲     狂言神楽、七間町、帰り囃子
   ※@〜Bまでは能管(力強い音)が使用され、Cは篠笛(繊細で哀愁が漂う音)の使用例が多い

囃子の楽器
 @ 能管      能楽に用いられる七穴の笛       熟練すればすばらしい響きと音色をだす
 A 竜笛      雅楽に用いられる七穴の太管の笛    外観は能管と同様で低音をだす
 B 草笛      神楽に用いられる七穴の笛で要所が藤皮巻き・諸糸巻き  人形を舞わせる時使用
 C 付太鼓     「ハッホ」などの囃し言葉を呼応しながら演奏する
 D その他     大太鼓、鼓(つづみ)、鉦(かね)、三味線、おけ太鼓 など


知多半島の山車祭り

市町村地区奉納先時期
半田市亀崎地区(潮干祭)神前神社・尾張三社5月3・4日
乙川地区(けんか祭)若宮神社・八幡社3月20日前後の土・日曜
岩滑地区八幡神社4月中旬の土・日曜
岩滑新田地区神明神社4月中旬の土・日曜
上半田地区(ちんとろ祭)住吉神社4月中旬の土・日曜
下半田地区業葉神社・山之神社4月中旬の土・日曜
協和地区白山神社4月中旬の土・日曜
成岩地区成岩神社4月中旬の土・日曜
西成岩地区成石神社4月中旬の土・日曜
板山地区板山神社・八幡社4月中旬の土・日曜
東海市横須賀地区愛宕神社9月下旬の土・日曜
大田地区大宮神社11月1日前後の日曜
大府市横根地区藤井神社10月第2日曜
知多市岡田地区神明社・白山社4月中旬の土・日曜
常滑市大野地区風の宮神社・小倉神社5月3・4日
西之口地区神明社4月中旬の土・日曜
常滑地区神明社・常石神社4月中旬の土・日曜
小鈴谷地区白山社4月第1土・日曜
大谷地区八幡社4月第1土・日曜
坂井地区松尾神社4月第1土・日曜
阿久比町宮津地区熱田社4月第3日曜
横松地区神明社4月第3日曜
大古根地区八幡社4月第3日曜
萩地区大山祇神社4月第2日曜
武豊町長尾部武雄神社4月中旬の土・日曜
大足地区(蛇車祭)豊石神社7月第3土・日曜
富貴・市場地区八幡社4月第1土・日曜
東大高地区知里付神社4月第1土・日曜
市原地区縣社4月第1土・日曜
美浜町河和地区河和天神社4月第1日曜
布土地区神明神社4月第1土・日曜
上野間地区野間神社3月末か4月第1日曜
南知多町吹越地区秋葉神社4月第1日曜
東端地区高の宮社4月第1日曜
内福寺地区八幡社4月第1日曜
馬場地区入海神社4月第1日曜
西村地区神明社4月第1日曜
大井地区豊受神社7月第1土・日曜

からくり人形ビデオ

里組(日車)のからくり人形 中組(雨車)のからくり人形 奥組(風車)のからくり人形
・前棚三人遣い人形「参社女」、「いっこんしゃ」二体の人形が衣装の早替わりを行なう。
・糸からくり人形芝居「悪源太平治合戦」は平清盛や牛若丸など五体の人形で演じられる。
・烏帽子をかむり、おひきずりの衣装を着た女形の三番叟(おきな)は気品の漂った狐顔で妖艶に踊る。
・上山のからくり人形は「綾わたり」が演じられる。

・歌舞伎役者のような男女二体の人形が踊る「春駒」は、複数の男性の口三味線に合わせて、両手に太鼓、傘、扇を持って舞う。
・上山のからくり人形は「唐人文字描き」が演じられる。
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